大判例

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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)1353号 判決 1968年7月18日

主文

一  原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

二  被控訴人らの請求及び附帯控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。原判決中被控訴人ら敗訴の部分を取消す。控訴人は被控訴人竹内新蔵に対し金六〇万円、同竹内由子に対し金五八万二、七五〇円及び右各金員に対する昭和三九年四月一四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人

1  訴外亡竹内弘は正運転手として事故車を自らが運転すべき職責を有し、かつ、他人をして運転せしめることを厳に禁止されていたにかかわらず控訴人の業務命令に違反し、たまたま助手席に同乗していた訴外川野正昭をして当該車輌を運行せしめた結果、自ら死を招いたものであつて、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条にいわゆる「他人」には含まれない。亡弘は自ら損害の発生を防止すべき地位にある者であり、自己の法律上の職責に違反した行為に基づいて自ら招いた結果は他人に転嫁し得ないということが法的正義に合致するゆえんであつて、暴行脅迫によつて他人から運行を強制せられた場合を除き、現実に運転していた者以外の者は「他人」であるとの原判決の認定は法の趣旨を誤解したものである。

また、自賠法二条四項は「運転者」を「他人のために自動車の運転又は運転の補助に従事する者」と定義しているから、同法三条の運転者とは現実に運転に従事していた者よりもその概念は広く、運転の補助をなしていた者を含めた概念である。本件の場合亡弘は現実に運転責任者として同乗し自らの行為によつて助手をして運転せしめたものであるから、運転手としての地位はいまだ離脱しておらず、現実に運転していなかつたとしても単なる運転補助者よりもさらに重い職責にあつたものであるから、前記法条及び一般理論に照らしても、亡弘が被害者としての損害賠償請求権を有するものと解することはできない。

2  被控訴人らの民法七一五条の使用者責任の主張は時機におくれた攻撃防禦方法であつて許されない。

仮に右主張が認められるとしても本件の場合の運転手はあくまでも亡弘である。すなわち前記川野はたまたま運転免許証を持つていたけれども、控訴人の助手として業務に従事していたもので運転手としては亡弘が従事しており、同人の要求によつて勝手に交代しているものであるから事故当時においても亡弘は運転者の地位を離脱したものということはできない。ところで民法七一五条にいわゆる第三者とは使用者及び加害行為をした被用者以外の者を指称するとされているのであるが、この場合の加害行為をした被用者に亡弘は該当するものといわなければならない。

3  亡弘の死亡当時の月収は二万八、〇〇〇円が正確である。原判決の金三万円との認定は証拠に基づかないものであつて違法である。

4  亡弘と被控訴人竹内由子とは親子関係がなく、亡弘の実母は現に生存している。単に姻族関係にあるということから直ちに扶養義務が生じないことは明らかであつて、原判決にいうがごとき不確定なる期待権を根拠として慰藉料請求権の発生を認めることは余りにも法を拡張解釈した議論といわなければならない。

また民法七一一条にいう親族は制限的に列挙されたもので同被控訴人は慰藉料請求権を有しないものである。

5  本件については加害者側は殆んど無責と考えられる程度に被害者側の過失が重大である。原判決のしんしやくは余りにも僅少に過ぎたものであつて、本件相当の過失相殺率は少くとも八〇パーセント以上であるべきである。

また過失相殺の割合は特別の事情のない限り原則として均一の率をもつてなされるべきであるところ、本件においては被控訴人新蔵の損害額に対する過失相殺の割合と同由子に対するそれとは異なつており不合理である。

次に被控訴人両名はすでに労働者災害補償保険法に基づく保険金(以下「労災保険金」という。)によつて金九八万六、八六〇円の補償を得ているが、労災保険金なるものは労働災害に基づく損害を補償するため支払われるものであるから、被害者はその金額の限度内において損害賠償請求権を失うので本件賠償額決定に当つても労災保険金を控除しなければならない。

しかして通常損害賠償における賠償額の決定に当つては、まず全体の損害額を決定し、しかる後被害者側の過失に基づく過失相殺をなし、その残額について労災保険金等被害者側が得た利益に対する損益相殺をなし、その残額が加害者として支払うべき賠償金とされるものであるところ、原判決は右の算定方式がとられていないからその認定額は失当であり、いかなる金額に対して過失相殺がなされ、また損益相殺がいかなる時点においていかになされたか不明であるから、この点理由不備である。労災補償といえども損害のないところに補償はないのであつて、被控訴人らの損害賠償請求権の存否にかかわらず労災補償がなされるものであるとの主張は余りにも一般理論を無視したものである。

6  弁護士費用支払の事実は知らない。

と述べた。

証拠(省略)

二  被控訴人ら

1  亡弘が自賠法三条にいう「他人」に該当しないとの控訴人の主張は争う。本件の場合訴外川野は運転資格を有しており、事故車の運転操作に関しては右川野の独自の裁量によりなされていたものであり、本件事故の原因たる運転行為に対しては亡弘の支配は全く及ばなかつたものであるから、事故当時亡弘は運転者の地位を離脱していたものというべきである。したがつて自賠法三条本文にいう「他人」とはいわゆる運行供用者及び当該自動車の運転者を除くそれ以外の者をいう(最高裁判所昭和四二年九月二九日判決)とされる以上、亡弘は同条にいう「他人」に該当するものといわねばならない。

控訴人は右川野に運転技術を習得させるために同乗させていたのであり、車の運転もある程度容認していたと解すべきである。控訴人が助手に運転を禁じていたとしても、それは運転免許を持たない助手に対してであり、車を自ら運転せずして運転技術を習得することは不可能であるから、通常運送会社において運転免許を持つ者を同乗させる場合は時に応じて自ら運転することを認容するのが一般である。原判決の亡弘が会社の内規ないし業務命令に違反したとの認定は事実を誤認するものである。

車を運転する者にとつて踏切前の一旦停止は当然の措置であつて、運転免許及び運転経験を有する右川野に対し亡弘が指示を与えるべき業務はなく、またバスのような多数の人間を輸送する交通機関と異なり、亡弘において下車のうえ電車の通行状況を確認して誘導すべき義務はない。

2  右川野は控訴人の被用者であり、かつ、控訴人の貨物を運搬中、すなわち事業の執行につき亡弘を死亡に至らしめたものであるから、控訴人は、民法七一五条の使用者責任を負担すべきである。

自賠法三条が民法七一五条の特別法であり、当事者が民法七一五条の適用のみを主張し自賠法の適用を主張しない場合であつても自賠法適用についての要件事実の主張あれば自賠法を適用しうることを考慮すれば、被控訴人らが民法七一五条の主張を加えたとしても、何ら訴訟遅延をきたすことはなく、時機におくれた攻撃方法とされるいわれはない。

控訴人の主張は亡弘が運転者であるとの誤つた事実評価を前提としており、亡弘は運転資格を有する前記川野に運転を委ねてすでに運転者の地位を離脱していたものであるから、使用者責任の追求に関しては加害行為をした被用者に該当しないものというべきである。(最高裁判所昭和三二年四月三〇日判決)

3  仮に被控訴人由子の扶養請求権金一〇〇万円が認められないとすれば、被控訴人新蔵は、亡弘の喪失したうべかりし利益金三五一万九、六八六円の二分の一を相続により承継した。

4  民法七一一条は生命侵害に対する慰藉料請求権者として被害者の父母、配偶者及び子を挙げているが、右規定は請求権者をこれらの者に限定する趣旨ではない。右以外の者でも被害者に対する生命侵害によつて深甚な精神的苦痛を蒙つた場合、換言すれば、賠償給付によつて除去せられるべき精神的苦痛が存在する限り、慰藉料請求権が肯認せられるべきは当然である。

被控訴人由子は民法七〇九条、七一〇条により慰藉料請求権を取得した。

5  過失相殺についての原判決の計算方法は妥当である。仮に控訴人主張の方式によればもし過失相殺の結果損害額が零又はこれに近い額になつた場合には被害者は労災保険金も受けられない不当な結果を是認することになるが、労災補償は無過失責任であつて損害賠償請求権の存否にかかわらず支払われるものであるからその存在を前提とする控訴人の過失相殺に関する主張は失当である。

原判決は過失相殺の結果、被控訴人由子については二分の一に減額しているにかかわらず同新蔵については三分の一以下に減額しているが、三分の一以下に減額すべき根拠はない。

また被控訴人らの慰藉料の額に差等を生ずる根拠はない。すなわち交通事件の損害賠償額の算定に当つては逸失利益と慰藉料を各独立に全く関連性のない別個の損害として算定すべきではなく、慰藉料の算定に際しては逸失利益等の他方の受けるべき利益が当然にしんしやくされるべきだからである。

6  控訴人は被控訴人らに対し第一、二審の弁護士費用相当の損害金として各金一〇万円を支払う義務がある。

被控訴人らは附帯控訴として原審において請求をした金額と認容された金額との差額、すなわち被控訴人新蔵については金一〇〇万円、同由子については金一四八万二、七五〇円を請求すべきところ、これを前者については金五〇万円、後者については金一〇〇万円減額し、さらに前記弁護士費用相当の損害金各金一〇万円を加算し、同新蔵については金六〇万円、同由子については金五八万二、七五〇円を請求するものである。

と述べた。

証拠(省略)

理由

一  成立に争いのない甲第八号証、乙第一四号証と原審証人桶田義次の証言によると、次の事実を認定するに十分である。

訴外亡竹内弘は控訴会社の正運転手であり事故当日事故車の運転担当者であつて、訴外川野正昭は運転免許はあるが助手にすぎなかつた。控訴会社は従業員に対し運転免許のある助手でも採用後三箇月間は運転してはならない旨の業務上の指示命令を出していた。しかも右川野は本件事故発生の一〇日前である昭和三九年四月四日控訴会社に入社して、高松市から大阪市に転入したばかりであり、大阪の地理を知るために毎日別の運転者の車に同乗し、亡弘の車にはその前日から同乗していたのであつて、事故車のような三輪自動車は全く運転したことがなかつた。ところが事故の数分前に弘から運転をすすめられ、これを断つたが、更にすすめられた結果、「その辺まで」ということで、地理が判らないままに、助手席に坐る弘の指図どおりに運転して事故現場たる南海電鉄上町線の専用軌道に差しかかり、折柄進行して来た電車と衝突して弘の死亡事故が発生したものである。

以上のとおり認定することができ、この認定をくつがえすに足りる証拠はない。してみると、右弘は事故の際現実に運転行為はしていなかつたにしても、依然としてこの車を安全に運行して事故の発生を防止すべき責任を負担していたことには何ら変りなく、川野が運転免許を有していたことも右認定の事実関係のもとにおいては、弘の責任には何らの関係もないといわなければならないのであつて、事故当時の本件車の運転者は弘であつたと解すべきであり、被控訴人らの指摘する最高裁判所昭和四二年九月二九日の判例は本件と全く事案を異にする。したがつて亡弘を自賠法三条にいう「他人」にあたるとした原判決は失当であり、控訴人は自賠法による損害賠償責任がないものというべきである。

二  次に被控訴人らは予備的に民法七一五条に基づく使用者責任を追及しているからこの点について検討する。まず控訴人は右主張が時機におくれた攻撃防禦方法であつて許されないと主張するが、被控訴人らの当審における右予備的主張は法律論であつて、これがために訴訟の完結を遅延せしむべきものとは認められないのでこれを却下すべきものではない。

次に民法七一五条一項によつて保護される第三者とは使用者及び加害行為をなした被用者以外の者を指称するものと解されるが、前記一で認定した事実関係においては亡弘は事故の際本件事故車の運転者そのものとして、事故の発生を防止すべき立場にあり同条所定の第三者に該当しないと解するのが相当であつて、事故の際現実に運転行為をしていた川野正昭が控訴人の被用者で運転資格を有したこともこの解釈の妨げとならない。したがつて被控訴人らは右法条により使用者たる控訴人に対し本件事故による損害の賠償を求めることも許されないというべきである。(被控訴人ら引用の判例は本件とは事案を異にし適切でない。)

三  よつて被控訴人らの本訴請求および附帯控訴による請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないことが明らかであるからこれを棄却すべきところ、これと趣旨を異にする原判決は失当で本件控訴は理由がある。よつて民訴法八九条、九三条、九六条を適用して主文のように判決する。

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